娘が失踪したその後の夫婦の物語。
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娘の思い出だけを頼りに、人通りの多い路地でビラ配りを続ける夫婦。
断られ、無視され、あげくにビラは捨てられ、時の流れと共に娘の事が風化していく恐怖。
昨日までそこに居たはずなのに…。
実際このような、行方不明者を探しているというビラを電柱や掲示板に貼られている事を見かけたことがある。
そんな事を思い出せるぐらいにリアルを感じたこの映画「ミッシング」
夫婦役を演じた、石原さとみと青木崇高の壊れていく演技に目を離せない自分がいました。
とくに石原さとみのぶっ壊れた演技は、ぎゅっと心を鷲掴みにする。
そして妙に冷静な夫。なんとなくそれもリアルに感じる。
決して冷たいとかクールとかそういうことじゃなくて。
現実を受け止めないようにしている感覚。
とにかくすごい…。
この二人の演技を観るだけでもこの映画に価値はありました。
マスコミという世界に翻弄される記者。
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夫婦だけに焦点があてられると思いきや、娘失踪に助け船を出すローカル地方局の新聞記者を演じる「中村倫也」もまた一人の主人公でした。
自分なりの正義と誇りを持ちながらも、メディアという汚い部分に押しつぶされていく姿がとても生々しい。
夫婦を助けたいと思いとは裏腹に、期待を裏切られ声が小さくなっていく。
出世する後輩、うまく立ち回れない後輩、温度差が違う同僚、変わってしまった上司。
そんな状況に苦しみもがく様は、とても見ていてつらい。
娘を探している事をダシにされ、悪い方向へと向かっていく。
やがてSNSにも情報が回り、どん底からさらにどん底へと落ちていく…。
その先にある「光」とは?
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このキャッチにどのような意味があるのか。
きっと映画をまだ観ていない人にとっては、娘が見つかるという希望を持つことが多いと思う。
だが、この映画の最後に辿る希望とは、また違うものだった。
あの状況下で疲弊していく夫婦の気持ちは、はかりしれないものがある。
自分はラストに控える、夫婦二人に芽生えた「優しさ」という感情に泣くしかなかった。
「よかったね」
自然に出た言葉に、観ている自分も同じ気持ちが溢れていく。
救われてほしい。
そう願わずにはいられない。
というわけで今作、劇場で観るべきかどうかですが…
- 久々の石原さとみの演技は今後も期待せずにいられない。
- まるでミニシアターフィルムのようなリアル感は劇場でも映える。
- むしろ青木崇高のラストに引っ張られる演技を是非みてほしい。
以上くろいぬでした。